このブログは、IDG社より発刊されていた「システム管理者の眠れない夜」の著者であった故柳原秀基さんを偲んで書いているシリーズです。

本社と常に同じ場所にいたい。という思いで当時人里離れた田舎の職場でインターネットによる研究所のネットワーク化を推進していまいた。このインターネットの衝撃は自分にとってはとてつもないものがありました。
 当時、マイクロマシンを使ったセンサの開発をしていたので、文献調査などはよく行っていいましたが、何分田舎なので簡単に本屋にも行けない。そのためにインターネットを使い始めたのでした。今でも忘れることの無い出来事は、当時同じような(というか最先端の)研究をしていたCMU(カーネギーメロン大学)のウェブサイトでした。ここのサイトの研究成果として、走査型電子顕微鏡に写されたマイクロマシンが実際に動いている画像をWebサイトに載せていて、「これは文献を遥かに超えている」と大きな衝撃を受けたものでした。そしてすぐ、日本も学術文献はインターネットで公開すべきと思い、加入していた某学会にこの話をもちかけたのでした。その結果は、担当の方がまったくピンときておらず、何も変わりませんでした。現在ではどの学会もインターネット無しでは考えられない世界ですが、30年近く前はそんな感じでした。

 職場では、eメールとは何か、という所から教育を始めました。CcやBCcとは何か、誰かに読まれるのか?どれくらいで到着するのか等、ホントにゼロからメンバーに教育をしていました。ネットワークは(最初はCameleonか何かのプロトコルスタックを使っていたような)、最初プリンターの共有をして、全員が、これは便利!と思って貰えたのがスタートでした。ただ、当時はネットワークのドライバを入れるとPCのメインメモリが圧迫されてソフトが走らないとか色々苦労がありました。そんな所に現れたのがWindows3.1でした。

Windows3.1はMS-DOSベースより使いやすいWindows作法に則ったGUIを備え、プロテクトメモリというプラスアルファのメモリが使えるようになりました。(厳密にはWindows3.0からなのですが、職場では3.1から導入)そういった恩恵もあって職場では比較的早い段階からWindows環境を構築する事ができました。しかしながら、Windows3.1では十分なネットワーク環境とは言えず、悩んでいた所に登場したのがWindows for workgroup(WfW)でした。これはWindows3.1環境にネットワーク環境を提供したOSで、職場の一部の好き者(=人柱)を募ってテストをしていました。しかしながら、WfWの日本語版は供給されず。そうこうしているうちに、やっと登場したのが広大な32bitのメモリ空間を使えるWindows NTです。ここでやっとWindows NTが登場したのでした(この話は、NT-Committee2の話なので)。